【3】
三日目の夕刻が近づいてきた。
部屋を訪れた軍曹の手は小刻みに震えている。
「曹長、な・・・何か、ご入用のモノはありませんか? できる範囲でご用意いたしますから!」
軍曹の目は今にも泣き出しそうで、たしぎは申し訳ない気持ちで一杯になる。
自分の行動がこんなに人を悲しませる結果になってしまうとは謝りたい気持ちでいっぱいだが、
ヒナに言われた言葉が頭に浮かび、謝罪の言葉は口に出さずに飲み込んで心の奥で何度も誤りつづけた。
「え・・・と、そうですね・・・あ! じゃぁ、コーヒーを一杯いただけますか?」
「は、はい! かしこまりました! 直ぐに最高に美味しいのをお届けします!」
軍曹はビシッと敬礼して、バタバタと出て行った。
その足音を追うように数人の足音も続いた。どうやら、ドアの外には何人か兵がいたらしい。
先を争ってコーヒーを入れに行った様だ。
ロロノアとの約束 守れなかった
彼は怒るだろうな
きっと許してはくれないだろう
でも、コレが私なりの正義なんです
ごめんなさい ロロノア
間もなく、バタバタと数人の足音が聞こえ、ドアがノックされた。
返事をすると、暖かいコーヒーを持った軍曹が入ってきた。
慌てて走ってきたからか、誰が運び入れるかでもめたせいなのか、ソーサーにびっしょりとコーヒーがこぼれている。
礼を言ってたしぎは香りを楽しみながら、カップからポタポタと滴り落ちる茶色い雫を気にせず、
美味しそうにコーヒーを飲んだ。
「ご馳走様でした」
「曹長・・・」
「そろそろ、時間ですよね? 行きましょう」
「曹長!」
たしぎがまるで警邏に行くようにでも言うかのように平然と刑場へ行こうとするので、
軍曹はとうとう、我慢していた涙を流してしまった。
「軍曹さん、皆さんも・・・お世話になりました。今までありがとうございました」
たしぎは頭を深々と下げた。
その声に軍曹も、廊下で待っている兵達も声を出さずに泣いた。
スモーカーのバイクがようやく宿舎の裏側についた。
他の人間に怪しまれない様、港に着いてからゾロの手にはしっかりと縄がかけられていた。
「アイツは何処にいる?」
「多分、中庭だ。この建物の向こうになる―――俺が」
連れて入るから・・・と、スモーカーが言おうとしたが、ゾロは縄を引きちぎり、すでに塀の上に立っていた。
「じゃぁな、おっさん」
「おい!」
スモーカーが止める間もなく、ゾロは塀の向こうへ消えた。
直ぐさま、「侵入者だ!」という兵の声があちこちで響いた。
スモーカーも続いて塀を越えたが、彼の目には死屍累々と倒れている兵の姿だった。
「ちっ!」
舌打ちしてスモーカーが兵の一人に駆け寄ったが、よく見ると、血は一滴も流れてはいなかった。
全てみね打ちで倒して行ったのだ。
「アイツめ・・・あんまり騒ぎ立ててくれるなよ・・・」
スモーカーは新しい葉巻に火をつけて、その場を去った。
ゾロは中庭へ続く廊下をひた走りに走っていった。
角を曲がると、窓からようやく中庭が見えた。
兵が壁に向かって数名一列に並び、こちらからはその向こうが見えない。
直感的にその向こうに『処刑される者』がいるのを感じ、窓ガラスを叩き割って叫んだ。
「たしぎ! どこだ!!!」
その音と声にその場にいた兵が一斉に振り向いた。
―――隙間からたしぎの姿も垣間見えた!
「!!!」
枠だけになった窓を飛び越え、ゾロはたしぎの元へ走った。
兵がゾロに向けて銃を構えたがゾロが叩き落す方が早かった。
息を切らしながら、たしぎの前に立ったゾロは、いきなりたしぎの頭に拳骨を落とした。
「痛っ! 何するんですか! ・・・っていうか何してるんです? こんなところで!」
「何してるのはオマエの方だ! この馬鹿女!」
「馬鹿とは何です! 馬鹿とは!!!」
「馬鹿だろうがよっ! 何で黙って処刑されるような道選んだ? 俺に追いつける剣士になるんじゃねぇのかよ!!」
「あなたとの約束を守れなくなってしまうのは謝ります。でも、このままじゃ海軍も貴方も両方裏切ってしまう事になるんです」
「だったらいっそのこと死んだ方がマシってか?」
「私は正直に真実を大切な人に告げたかった。結果的にその事で処刑になろうと後悔はしませんよ!」
「ふざけるなっ! 手前ぇの命はそんだけのモンなのかよ! 海軍とか海賊とかそんなモンの前に
オマエは『たしぎ』って名前の剣士なんだろ! 剣士なら最後まで刀離すんじゃねぇ!この石頭!!」
「石頭っ?!――さっきからあなたは!! 一体何しにきたんですか!!!」
「何しに来ただぁ? 冗談じゃねぇぞ!!」
怒鳴りあう二人を兵が呆然と見ていた。
兵の間にはいちおう処刑の理由は伝わってはいたのだが、この二人を見る限りちっとも『そんな雰囲気』は感じられない。
話しの内容をよく聞いていれば痴話げんかに聞こえなくもないが、
いきなり処刑場に現れた自分達が追っている海賊の一味が、処刑されるハズの自分達の曹長と喧嘩し始めたのだから、
ひたすら呆然と見ているしかなかったのだ。
「おい、そこのオマエッ!」
魔獣と呼ばれる男に呼ばれて、若い兵は ヒッ と空気が漏れるような返事をした。
「コイツ、処刑されんだろ? って事はコイツの命いらねぇんだよな?」
「はっ? はぁぁ?」
「だったら、コイツの命俺が貰い受けた。文句なぇな?」
兵はぽかんと口を開けたまま状況が飲み込めず、隣の兵に助け舟を求めているが、隣の兵も似たり寄ったりの状況で互いに困り果てていた。
「何勝手な事言ってるんですか貴方はっ!」
「勝手なのはオマエだろっ! 勝手に死ぬな! そんなつまんねぇ理由で死なれてたまるか!!!」
「!」
「いらない命なら俺によこせ。俺と生きろ!」
「・・・」
たしぎは大きな目を更に見開いてゾロの目を見た。
―――すごく大切な事を言われているんじゃないだろうか?
瞬きするのも忘れて食い入るように ゾロの顔を見つづけた。
たしぎが固まってしまってるのを見て
しょうがねぇな
と、ゾロはニヤリと笑うとたしぎの手をとった。
「じゃ、貰ってくぜ」
平然と兵の間を抜けズカズカと歩いていくゾロに、黙って手を引かれて歩いていくたしぎ。
その時、一人の兵が声を上げた―――軍曹だ。
「わぁ たいへんだぁ ロロノアだ ロロノアがきたぞぉ」
村祭の演芸会の芝居よりひどい棒読み台詞のような言い回し。それに他の兵も続いた。
「たいへんだぁ たいへんだぁ」
そう言いながら、皆 二人の為に道を開けた。
「?」
<こっちだ、はやく!>
小声で兵がゾロを呼ぶ
<裏口から!>
「なんだ! お前等??」
<いいから! 俺達、曹長を手にかけるくらいなら・・・>
<早く行け!>
ふっ・・・
ゾロの口元がやさしく歪んだ。
その間も 棒読みの兵の声が続く。
<曹長! 自分は曹長をおしたいしてました!>
<自分もですっ!>
ドサクサ紛れに告白する兵もいる。
<お元気で!>
<曹長!>
<曹長!>
「たいへんだぁ たいへんだぁ」
皆微笑みながら二人を見送る。
たしぎの目から涙が溢れた。
それを拭おうともせずに、一人一人の顔を見、頷きながらたしぎはゾロに連れて行かれる。
自分は、こんなにも兵達に慕われていたのだ 自分が思っていた以上にこんな時になってそれが身にしみるなんて
ごめんなさい ありがとう
心の中で唱えるように 繰り返し 繰り返し
ゾロの手の暖かさと 兵の声の暖かさに包まれて たしぎは走りつづけた
裏口へ続く門が見えた
走り抜けようとする二人の前に ゆらりと人影が現れた
「スモーカーさん!」
巨大な十手を二人に突きつけ、口に咥えていた葉巻を吐き飛ばし 己そのものが門の様に立ちはだかった。
「この門を出たら、二度と帰って来る事はできないぞ」
「はい」
「海賊になるのか?」
「なりません。私は何処にいても自分の信念を曲げる事はしません。自分の正義を貫きます」
「海賊の下にいてもか?」
「―――時雨に誓って。変わりません」
凛として答えるたしぎに、スモーカーは十手を下ろした。
「やってみせろ。自分の正義をどこまで貫けるか。それまでお前の処刑は延期する――行け」
スモーカーは道を開けた。
二人が横を通り過ぎる瞬間、スモーカーはゾロに呟いた。
「手前ぇに預けた―――泣かすんじゃねぇぞ」
ゾロは足を止め、和道の鞘を向けた。
「預けるだ? 違うな『貰ってく』だ」
「ちっ、海賊め やっぱりお前らは略奪者だ」
「へへへへ」
ゾロはヘラヘラと笑ってだしぎを連れ去っていった。
去り行く二人にスモーカーはもう一度だけ声をかけた。
「たしぎ!」
振り向いたたしぎの手に何かが降ってきた。
「餞別だ、とっておけ」
たしぎの手にずしりと重く、刀が届く―――たしぎの愛刀時雨だった。
顔を上げると、すでにスモーカーの姿はなく、誰もいなくなった門にたしぎは深々と頭を下げてくるりと踵を返した。
「行くか?」
再びゾロが手を差し出す。
時雨を腰にさし、ハンカチでゴシゴシと涙を拭くと顔を上げ 自分の手をそっとゾロの手に重ねた。
「はい!」
ゾロは嬉しそうに微笑むと、その手を力強く握って再び走り始めた。
「軍法会議はこの部隊全員で受けてもらおうかしら?」
ヒナは兵舎へ帰ろうとするスモーカーの前にふらっと現れ、意地悪く微笑んだ。
「まったく、スモーカー君たら何処探しても居なくて、ヒナ大慌て! 私を大慌てさせたのよ?」
「そいつぁ悪かった」
「軍法会議にかけたら必ずたしぎは死刑ですもんね。貴方が即決したのがやっとわかったわ。ヒナ失態」
「上の奴等に報告したかったらしろよ・・・」
「無粋。あの子が自分で見つけた道ならそれでいいわ。ヒナ満足」
「そうか」
「・・・白猟ともあろう男の背中が今日は小さく見えるわ。ヒナ驚き。
花嫁を送り出したお父さんの心境? ってとこかしら? ・・・さ、行きましょ?」
「俺ぁ疲れてんだ。寝る」
「嘘。飲むんでしょ? 付き合うわ」
「何もかもお見通しか?」
「そうよ。私に隠し事なんて100年早くてよ?」
ヒナはそう言うと、スモーカーの腕を取って、街へと消えていった。
「心配だ・・・」
サンジが、小さくなっていくビローアバイクを見てぼそりと呟いた。
「そうだよな、いくらゾロでも海軍の真っ只中に一人ってのはヤバイよなぁ・・・」
隣のウソップも同意して頷いた。
「心配だぁぁぁ! アイツが連れてきた女がメスゴリラみたいのだったらどうしよう!!!!」
「そっちの心配かよ!」
「確かに心配よね・・・あの迷子の事だからとんでもないトコ行っちゃうんじゃないかしら?」
ナミも心配どころがちょっとずれている。
「ね、ルフィ。引き換えして、迎えに行った方がいいんじゃない?」
「そだな。そうしよう。もちろん大丈夫なんだろ? ナミ」
「うん。航海上なんの問題もないわ」
「よっし! 反転してゾロ迎えに行くぞ!!」
その声にウソップとサンジが操舵室へ駆け込んでいった。
(あの「脳みそ筋肉」がどんな面下げて 帰ってくるか見ものよね・・・)
ナミは一人で想像して肩を震わせて笑うのを我慢していたのを、チョッパーはしっかり見ていた。
(恐っ・・・)
「あ〜。どんなヤツか楽しみだなぁ? な、ナミ」
ルフィは早く港に着かないか、と新しい仲間にワクワクしていた。
「この馬鹿女! 考えナシ!」
「貴方に言われたくありません! どっちが考えナシですか!
敵城に単身で乗り込んできたりして。命知らずにもほどがあります!!」
「負けねぇ自信があるからやってるんだ!」
「うわーっ! なんて自信過剰! 己に溺れるといつか足元掬われますよっ?」
「はははははは じゃぁ、そん時はオマエが止めてくれ」
「また、そんな勝手な事言って! ―――貴方に死なれたら困ります」
「へ?」
「貴方も勝手に死なないで下さいね」
たしぎは蕾がほころぶように ふわっと笑った。
その笑顔がゾロの胸に突き刺さる。
まぶしい
「約束する」たしぎのまぶしさに目を細めて ゾロも微笑んでみせた。
もう少しだけ 力をこめて 手を握る
その力強さに 握られた手も応える
ゾロは四本目の『刀』と言える存在を手に入れ
たしぎは『新しい刀』と言える存在を手に入れた
永遠に
完